ミュージカル「シシ」への距離③「責任感の強い人たちのシシオドリ」

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皆さまこんにちは!

みんなのしるし 、制作担当の都甲です!

寒い寒い東北に住むものとして、暖冬なのは嬉しいのですが、暖かいと暖かいで「こんなに雪降らなくて、大丈夫なのかな?」と不安になる…

そんなジレンマな日々を過ごしております。

(今シーズンはまだ一度もスキー場に行けてません!)

おなじみ、政宗さまと都甲です

さて、前回は南三陸町水戸辺で400年の時を超えてシシオドリが復活した話に触れましたが、実はこの復活劇にも、またもうひとつ逸話があるのです。

今日はそちらをご紹介したいと思います。

行山流(ぎょうざんりゅう)の演舞

昭和57年に水戸辺で石碑が発見されてから、地域の中では「シシオドリを復活させよう」という機運が高まっていました。

現在、行山流水戸辺鹿子踊保存会の会長を務めておられる村岡賢一さんは、その時に初めてシシオドリを見て衝撃を受け、なんとしても水戸辺でシシオドリを復活させたい、と考えたそうです。

村岡賢一さん 南三陸なうHPより

それからしばらく経ち平成3年になって、資金の目処がつくことになり、その昔水戸辺からシシオドリが伝わったという岩手県一関市舞川の鹿子踊保存会の方を講師に迎えて、地元の人々がシシオドリを習い始めました。

毎日、平日の夜に集まって稽古が行われたそうです。

しかし…

日が経つごとに参加者が1人減り、2人減り…

どんどん人が少なくなっていって、最初は20人いた参加者が最後には6人にまで減ってしまったそうです。

一体何故なのでしょうか??

それは…大変だからです!!

ここでもう一度、シシオドリの写真を見ていただけますでしょうか?

行山流(ぎょうざんりゅう)の演舞

シシオドリの装束は

・大きなシシのカシラを被っている
・背中に2メートル近い「ササラ」というものを背負っている
・大きな太鼓を抱えている

という大掛かりなもの。

この装束を着けながら、全員が「唄い・踊り・太鼓を叩く」の全てをこなさなければなりません。

今日残る郷土芸能の多くは、唄い手専門とか、踊り手専門、太鼓専門など、役割が分かれて演舞を行うものが大半です。

しかし、1人で全てのことをこなさなければならないシシオドリは、同時に様々なスキルが必要とされる超人たち、スーパースター集団なのです!!

当然ながらシシオドリの稽古は大変に厳しいもので、もちろん別の事情もあったのかもしれませんが、参加者はだんだんと稽古から足が遠のいてしまったのでした。

実はシシオドリは「8人1組で演舞を行う」という様式があります。

このままでは、水戸辺で正式にシシオドリを復活させることは不可能です。

町の予算もついてしまった状況で、このままこの取り組みを空中分解させるわけにはいかない…

村岡さんは、なんとか地域の人たちに協力してもらおうと、ある行動に出ます。

その行動とは…

酒を持って、協力してくれそうな人の家を訪ねた。

石巻の地酒、日高見。すっきりしていて美味しいです。

だそうです。

なんとも東北らしい方法です。

しかも

「能力の有無ではなく、責任感の強い、頼んだら断れなさそうな人を選んで訪ねた」

のだそうです。

そんなこんなで、なんとか人数も増え、平成4年には菩提寺である慈眼寺で躍供養を奉納し「復活の庭揃え」となりました。

以来、村岡さんはずっと行山流水戸辺鹿子踊保存会の会長として、水戸辺のシシオドリをリードしておられます。

平成23年の東日本大震災の時には水戸辺も被災し、装束や道具などが流出し、存続の危機に立ったそうですが、全国からの支援もあって無事再開でき、今では地元の若者や子供たちからも人気のある、憧れの芸能となっているそうです。

稽古をする水戸辺の若者たち

しかし今の形があるのも、村岡さんの初期からの奮闘があってのことです。

ミュージカル「シシ」の主人公、嘉兵衛はそんな村岡さんのエピソードを参考にしながら作られています。

水戸辺でのお話はもうこれだけで十分ドラマになりそうですが、「シシ」ではこのお話も下敷きにしながら、よりスペクタクルなエンタテイメントとなる予定です!

皆さまにぜひ応援していただいて、多くの人に東北の郷土芸能の魅力を知っていただけたら幸いです。

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