テーマソング

Staff blog 記事

「サバイバルの唄」誕生秘話①「なんでサバイバル??」「東北は寒いんだよ」

2020/01/31 15:47

皆様こんにちは!

みんなのしるし の都甲です。

先日初めてトレーニングセンターなるところへ行き、一通りトレーニングをしてみたのですが、目下絶賛筋肉痛です。前鋸筋が痛いです。

あざとい自撮りしかなくてすみません。さらに前髪を切りました。

さて今日は、みんなも気になるミュージカル「シシ」のテーマソング「サバイバルの唄」の誕生秘話に迫っていきたいと思います!

まずは、こちらの動画をご覧ください。

ポップな曲調に、綺麗な海と森、そして強風…

情報量が多すぎて混乱してしまいそうですが、なぜこの曲が生まれたのか、解説してみたいと思います!

物語は江戸時代初期の仙台藩

ミュージカル「シシ」の物語は、江戸時代初期、仙台藩の、とある小さな漁村です。(南三陸町の水戸辺がモデルになっています)

1611年12月(新暦10月ごろ)、「慶長の大津波」と呼ばれる災害がありました。
「シシ」はその大津波から1年経った、1612年の秋のお話です。

大津波が起こった後、浜には一時的に大量の鮭が打ち上げられた後、時化と不漁が続いていました。
浜では多くの船が流されてしまい、そもそも漁師たちは漁に出ることもなかなか叶いません。

加えて、当時1600年代は、世界的に「ミニ氷河期」と呼ばれる時代で(14世紀半ば〜19世紀半ば)、イギリスのテムズ河が凍りついたり、18世紀にはニューヨーク湾が凍りついたり、世界的に飢饉が起こったりしていました。

日本でも1773年(安永2)、1774年(安永3)、1812年(文化9)の冬には隅田川が凍ったという記録があるそうです。

『新撰江戸名所』「日本橋雪晴図」歌川広重 画

狩猟採集から稲作へ

江戸時代に入ったばかりの仙台藩は、石高を上げるための稲作を各地に導入させます。

当時、三陸の山あいや浜に住んでいた人々は、畑作・稲作よりも魚を取ったり猟をしたりという、狩猟採集に近い生活を生活をしていたと言われており、大きなライフスタイルの転換を迫られます。

しかし、もともと温暖な地域で栽培されていた米を、ミニ氷河期の東北で大々的に栽培することは…

かなり無謀な挑戦だったと言えるでしょう。

時代が下るとコメも品種改良や水利の技術が進み、仙台藩は62万石から100万石まで生産力を高めていきますが、1612年時点での漁村の生活は、かなり苦しかったのではないでしょうか。

生き延びる力=サバイバル

そこで求められるのが「サバイバル能力」です!

私はもともと、サバイバルといえば野草を食べるイメージだったのですが、人が生きていくエネルギーやタンパク質を摂取するには、どちらかというと虫の方が優先されるみたいですね。

現代の日本でも「イナゴの佃煮」「ハチノコ」などを食べる習慣は残っていますし、乾燥させたミミズを漢方で解熱剤としていた、という話は聞いたことがあります。

世界の中には、昆虫食を中心とした食文化もあるし、近い将来に、世界が食糧難となった時の新たな食材として、昆虫食は注目されているそうです!!

タイ、バンコクのマーケットだそうです。
苦手な人は大きくしないで…。wikipediaより

ミミズ、ナメクジ

と、いうことでつまり「当時の人々は、津波の災害後の寒冷な時代を生き延びるために、ミミズでもナメクジでも、なんでも食べてたんじゃない??」という解釈から、この「サバイバルの唄」は生まれたのです。

ポップで楽しく、でも「サバイバルしなければいけない時には、どうやって生き延びればいいんだろう?」ということを考えさせてくれる、啓蒙ソングとして、NHK「みんなのうた」枠を狙って制作されました(笑)

PVの撮影時は、「三陸の綺麗な海をバックに撮れたら素敵だね」という気持ちでロケに向かったのですが、思いもよらない強風により、よりサバイバル感がアップしてしまうというアクシデントもありました。

PV撮影中のオフショット。寒すぎて毛布をかぶっています。

PV撮影時の裏話は、また、次回にお話しましょう♪

関連記事