ミュージカル「シシ」への距離①「鹿踊」ってなんだろう?から始まった。

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皆さま初めまして!
みんなのしるし制作の都甲(とこう)と申します!

今回皆さまに応援いただいているミュージカル「シシ」は、旧仙台藩領内に広く存在する「鹿踊(ししおどり)」という郷土芸能の成り立ちに迫る物語ですが、私自身はこの企画に携わるまで、あまり鹿踊というものに親しみがありませんでした。

鹿踊は1600年代の中頃に仙台領内で誕生し、現在の宮城県や岩手県にまたがる、広い地域で親しまれていたのですが、私の住む宮城県石巻市ではその伝承はすでに失われてしまっていて、地域の中では見ることができなかったのでした。

地元の人たちの印象でも、どちらかというと鹿踊は「内陸や、岩手県のもの」というイメージが強いようです。

しかし、このミュージカル「シシ」の物語のモデルとなったのは、私の住む石巻市のお隣、南三陸町の水戸辺という地域です。
水戸辺でも、近代に入った頃には鹿踊はすでに失われてしまっていました。

しかし、昭和57年に道路工事の現場から、「鹿踊供養塔」という石碑が発見され、「この土地で鹿踊が踊られていたんだ!」ということがわかった地元の方々が、改めて現代に入って鹿踊を習い直して、平成4年から水戸辺の地で復活させたのです。

鹿踊供養塔と脚本家の黒川さん


きっと江戸時代の中期ごろには、鹿踊は本当に文字通り、仙台領内の各所で歌い、踊られていたのでしょう。
現在では「うちらほ(私たちのところ)には鹿踊はないよ」と思っている、宮城県内の多くの地域でも、きっとその昔には多くの人々が鹿踊を楽しんでいたのに、違いありません。

仙台でも、現在鹿踊に親しみがある地域は限定的なものですが、この公演をきっかけに、多くの宮城の方々にも、改めて「鹿踊」という芸能に親しみを感じてもらえればいいなあ、と思っています。

鹿踊の装束には、伊達家の家紋である「九曜紋」が入れられ、藩主の前で舞を披露した、という伝承も残ります。

九曜紋の入った装束


この度の2月末の公演は、仙台市青葉区にある「誰も知らない劇場」という会場で行われます。
仙台駅に隣接する大きな商店街の一角です。

400年の時を超えて、再び伊達家のお膝元で公演ができることを嬉しく思っております。

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